19
04
1998年、ポータブル音楽デヴァイスはひとつの時代の終わりを迎えようとしていた。最初のMP3プレイヤーは、まだ開発段階にあった。まもなく「iPod」が登場し、付属品の白いイヤホンが、新しい世紀を象徴するものになる。
しかし当時、衰退期を迎える直前の「ウォークマン」や、それを高度化した姉妹商品の「ディスクマン」は人々の必需品だった。ソニーは98年時点で、ウォークマンを1億7,500万台以上、ディスクマンを約5,000万台、世界で販売していた。この数字には、他社が製造した無数の“コピー商品”は含まれていない。
ウォークマンとディスクマンは、通勤やジョギング、あるいは後部座席の子どもたちにとって欠かせないお供だった。あらゆるところで、エイス・オブ・ベイス、アウトキャスト、ニュートラル・ミルク・ホテルなどの音楽を人々の耳に届けていたのだ。
そこからさらに20年前、ウォークマンは世界を驚かせた新しいガジェットだった。登場した79年当時、無限の携帯性を備え、音楽に集中できるウォークマンは、まったく新しい体験だった。
何とかその体験を言葉にしようと、たくさんのユーザーが、薬物などでの陶酔や映画体験をたとえに挙げた。有名なSF作家のウィリアム・ギブスンはウォークマンについて、「その前にもあとにも、ひとつのテクノロジーにあんなにただちに反応したことはない」と、のちに語っている。
一方で、ウォークマンの大流行は人々を動揺させた。専門家は聴覚へのダメージや安全上の問題を心配した(ニュージャージー州のある町では、ヘッドフォンを装着した状態で通りを横断するのが違法になった)。また、社会への影響や心理的な影響も懸念され、それを大げさに主張する者もいた。
81年には『シカゴ・トリビューン』紙のコラムニストが、オハイオ州のステート・フェアでヘッドフォンを装着した若者を見たという失望をつづった。「ウォークマンは気持ちや気分を変えるデヴァイスとして、一部のドラッグにとって代わりつつある」と、このコラムニストは嘆いている。「10代の若者が、オハイオ・ステート・フェアの音を締め出さなければならないと感じる段階まで来たとなると、社会が崩壊寸前であるのは間違いない」
しかし98年までには、そうした危ぶむ声も収まり、ウォークマンとディスクマンは公共空間に根付いていた。
現在から見ると、その機能は笑えるほど限定的だ。自宅を出る前に、どのアルバム、あるいはどのミックステープの気分なのかを考える必要があった。持ち運ぶ予備テープはせいぜい数本。これには困った。バックパックにしまった3本のテープに飽きてしまったらどうしよう?
一方で、これは幸いでもあった。画面のスクロール1回やクリックひとつのところで、ほかの無数の曲が自分を待っているという意識はない。このため、ローリン・ヒルの「Doo-Wop(That Thing)」に、どっぷりと漬かることができたのだ。