30
12
日本の漫画といえば世界に名だたる文化であり、アニメーション作品とともにクールジャパンを牽引するコンテンツといっても過言ではない。それにもかかわらず、日本を飛び出し、中国でサラリーマン漫画家となった男性がいる。彼が目の当たりにした日中の漫画界の違いとは……。
【写真】この記事の写真を見る(2枚)
ここでは中国在住のドキュメンタリー監督、竹内亮氏の著書『架僑 中国を第二の故郷にした日本人』(KADOKAWA)より一部を抜粋。中国在住の「サラリーマン漫画家」浅野龍哉さんが語る日本の漫画界の現状について紹介する。(全2回の1回目/後編を読む)
◆◆◆
浅野さんは会社に出勤して漫画を描く、いわゆるサラリーマン漫画家だ。給料も基本的には定額である。
「給料はいくらですか?」
「1万2000元(約20万円)です」
日本では、初対面の人に給料を聞くのは失礼な行為だが、中国ではそこまで失礼には当たらない。私も知らないおばちゃんと話していると、よく聞かれる。
ちなみに、私の給料は全て妻が管理しており、本当にいくらなのか知らないでいる……。
話を戻すと、日本の漫画家は、出版社から1ページ毎の原稿料をもらいながら雑誌連載し、単行本化やアニメ化によって印税やマージンを受け取る仕組みだが、この会社は少し違う。基本の固定給が5000元とすると、描いたページ数が5000元に満たない場合は固定給の金額が支払われ、5000元を超えるページ数を描いた場合は、5000元に追加された金額が支払われる。キャラクターがグッズ化された場合などもマージンが入る。
浅野さんと一緒に職場に入ると、部屋一面に広がる漫画の量に驚いた。そのほとんどが、日本の漫画なのだ。『ワンピース』から『ドラゴンボール』、私が子供の頃に好きだった『キャプテン翼』から、私が知らない最新漫画まで、古今東西の漫画の単行本がずらりと揃えてあった。
『ジャンプ』や『マガジン』などの少年漫画誌、『リボン』や『マーガレット』などの少女漫画誌、『モーニング』などの青年漫画誌など、無数の漫画雑誌がある日本と比べて、中国では数えるほどしか漫画雑誌は存在しない。よって、雑誌はメジャーな存在ではない。だから、これまでは中国で漫画イコール日本の漫画であった。1990年代生まれの「90後」たちは、子供の頃に日本の漫画を読んで育っているため、日本人の私よりも日本の漫画に詳しい。
今中国で日本好きな人たちの多くは、「90後」の若者たちだ。彼らは、50代から60代の大人たちがいくら日本を否定しても、影響されずにいる。
日本の漫画が中国数億人の若者の心に及ぼした影響は、計り知れないほど大きい。ある意味、ノーベル平和賞を与えてもいいぐらいの貢献をしたと思っている。
書棚の漫画を手にとってみると、セリフはもちろん中国語である。ただ、印刷の質が悪く、所々絵が擦れている。
「それは盗版(コピー商品)ですよ」
教えてくれたのは、浅野さんの同僚の大象さん(ペンネーム)。盗版を販売している会社は、日本で単行本を買って全てスキャニングし、日本語セリフの部分を消し、中国語を入れて印刷しているのであろう。読者の皆さんは、このような現象を聞くと「またか」と思うかもしれないが、これは少し古いビジネスだ。今の中国では、著作権に関する取り締まりは厳しく、ここまで大っぴらに著作権者に無断でコピーして売る商売はもはやできない。書棚に置いてある漫画は、数年前に売られていたものだ。
もちろん、「上に政策あれば下に対策あり」と呼ばれる中国だ。あらゆる抜け道を使って日本の漫画を無断転載し、ネットに公開している人はいる。だが、その方式は日本でも「漫画村」というサイトが問題となったように、広告収入が主体だ。漫画は客寄せのために、無料閲覧が原則となっている(これはこれで、もちろん問題だ)。コピーを市場において、対面で売る商売が成り立つ時代は、中国でも終わっている。
職場にある漫画のほとんどは社員が買ってきた漫画だが、その一角にある浅野さんの本棚だけは、毛色が違っていた。日本の漫画があまりないのだ。中国やフランス、シンガポールなど、世界中の漫画が置かれている。
「世界で日本の漫画だけが有名かというと、決してそうではありません。世界には面白い漫画がたくさんあります。日本人が知らないだけなのです」
確かに、浅野さんが指摘したように、私も日本以外の漫画をほとんど読んだことがない。勝手に日本の漫画が世界一だと思い込み、他の国の漫画を探そうと思ったこともなかった。
さらに、浅野さんの書棚をよく見てみると、不思議な現象を発見した。色々な漫画があるが、全て1巻しかないのだ。なぜなのか。
「税関の人に、日本から中国に持ってこられる漫画は200冊までと聞いて、悩んだ結果、全ての漫画の1巻だけを持ってきました。漫画は1巻にその全てが集約されています。物語の骨格からエンディングまで、1巻を読めば全てが分かるからです」
浅野さんが所属する会社・鮮漫は、浙江省杭州に本社を置く。中国全土に支店を持つ、大手の総合エンタメ会社だ。北京支店には社員が5人ほどいて、朝から晩までひたすら漫画を描く。浅野さんはそのうちの一人だ。
現在、中国で最も漫画が読まれているデバイスは、間違いなくスマホだ。
スマホにおける漫画は、そのほとんどが無料である。
「無料で配信しているのでは、ビジネスが成り立たないのではないですか」
「我々の漫画制作部は、簡単に言えば先行投資の部門です。会社は、漫画だけで儲けようとは考えていません。本社には映画・ドラマ制作部があり、お金儲けは彼らがやります。中国でも漫画原作のドラマや映画が増えている今、自社で漫画制作部を持てば、莫大なお金を払って他から映画化権を買う必要はありません。
キャラクターグッズ販売やイベント展開も、容易にできます。漫画は、作家一人と編集者一人がいれば作ることができる、最もコストが低いIP制作の方法だ、と会社は考えているのです。
極端な話、100個漫画を描いて1個当たれば、十分に元が取れるという考えです」
この会社のビジネスモデルを聞いて、実に中国人らしい考え方だと思った。有料の漫画を描いて、小さく確実に儲けることもできるだろう。だが、それでは中国全土には広がらない。ならば無料で配信し、人気が出た作品のメディアミックスを行うことで大きく儲ける。「大きく投資して、大きく儲ける」のが主流の中国ビジネスならではの発想だ。
私が浅野さんに「日中の漫画ビジネスの違いは何ですか?」と聞くと、浅野さんは急に熱く語り出した。
「日本の漫画界は今、完全にガラパゴス化しています。このネット時代に、未だに漫画雑誌を売るビジネスモデルから抜け出せていない。電子書籍化しているだけで、基本は昔と何ら変わっていません。漫画雑誌が隆盛を極めた、30年前の成功体験から抜け出せていないのです」
「作品の質も、未だに日本が世界一だと思っている人が日本人の中には大勢いますが、私はそうは思いません。もちろん、日本の漫画で面白い、素晴らしい作品はたくさんあります。しかし、中国漫画の質は日進月歩で進化しており、既に日本を超える作品もたくさん出てきています。日本人が外国の漫画を知らずに、日本漫画が世界最高峰だと勝手に考えているだけなのです」
私も大いに同意するところがある。私も日本と中国の映像業界に身を置いてきたので、映像制作の技術レベルに関していうと、日本は既に多くの部分で中国に超されていると思う。中国が撮る映像は今、物凄く美しくてカッコいい。特撮、CG技術も日本より凄いと感じる。ところが、多くの日本の映像制作者はそれを知らず、日本の映像はまだ世界的にレベルが高いと思っている。
おそらくこれは、全ての業界に当てはまる現象なのではないか。日本全体がガラパゴス化しているのは間違いないだろう。ただ、ガラパゴス化=悪という単純な話ではない。独自の文化が滅ぼされずに残っているということは、外国人から見ると非常に魅力的なところもあるということで、悪い面だけではないからだ。
いつも「すみません、僕なんか取材して番組が成立しますか」と恐縮している浅野さんは、「僕は本当に小心者で、優柔不断なんです」という言葉にもうなずいてしまうほど、食事のメニューを決めるのにも凄く時間がかかる人だ。だが、日本を離れて中国・北京に移住することには、何の迷いも恐れもなかったという。
浅野さんが中国に来たのは2015年。それまでは、神戸の大学で先述した大塚氏(編集部注:浅野さんは多くのヒット作をもつ漫画原作者・批評家の大塚英志氏に師事し、大学で漫画の歴史を学び、描き方を研究し続けてきた)の助手を務める傍ら、漫画を描いていた。初めて中国に訪れたのは2013年。中国の大学に招聘されて、「漫画の描き方」の講座を担当したという。
大塚氏は世界の漫画を研究し、日本の漫画の描き方を世界で教える活動をしていたが、その一環で、北京の大学から講師を一人派遣してくれと頼まれた。その時、たまたま浅野さんに白羽の矢が立ったそうだ。浅野さんを招聘した大学は北京電影学院。中国ナンバーワンの映画大学で、チャン・イーモウを始めとして、多くの有名スターや有名監督がここから巣立っていった。当時の浅野さんは、そのような超有名大学であることは知る由もなく、ただ言われるままに北京に行き、講義をした。
「衝撃的でした。学生たちの熱気は凄く、漫画にかける情熱は半端なく、私は質問攻めにあいました。彼らの作品を見たら、学生とは思えないほどレベルが高く、僕のような日本の売れない漫画家が彼らに何を教えられるのか、圧倒されてしまったほどです。それでも、自分の持っているものを全て伝えようと、無我夢中で講義しました」
3日間の講義は、学生たちからの反応がとてもよく、これまで感じたことのない充実感を覚えたという。
私は、浅野さんの中国での原点となる場所を見てみたくなり、北京電影学院に一緒に行ってもらえませんかと誘った。これはドキュメンタリーによくある手法だが、その人にとって大切な、思い出の詰まった場所に行くと、記憶が突然蘇り、思いがけない話を聞くことができる時があるのだ。
私たちが北京電影学院に着くと、正門の前には人だかりができていた。私たちのように、カメラを持ったメディアがいくつも来ていた。正門からは、高身長の美男美女たちが次々に外に出てくる。
「あー、今日は大学の入学試験なんですね」
今日は未来のスターを目指す若者が入学を希望する演技科、つまり「俳優学科」の試験があるという。日本でいえば、宝塚音楽学校の合格発表日にメディアが集まるのと同じようなものだろう。
周りのメディアが未来のスターたちにカメラを向け将来の夢を聞いている中、我々はそこで31歳の日本人漫画家にインタビューをした。
「こんなに有名な大学だって知っていました?」
「いや、全く知りませんでした。当時は中国に対する知識はほとんどゼロで、言葉もニイハオぐらいしか知りませんでしたから」
「ここで講師をしただけで、なぜ中国に住みたいと思うようになったのですか?」
「実は当時、私は長年付き合っていた彼女に振られ、父を病気で亡くし、描いた漫画もパッとせず、人生に行き詰まっていました。そんな中、この北京電影学院で講義をし、中国の学生の熱気に刺激され、眠っていた何かが活性化しました。さらに講義を終えた後、校舎の廊下に展示されていた卒業生たちの卒業作品を見た時に、あまりのレベルの高さとその創造力に衝撃を受けて、『ああ、私は彼らと一緒に作品を作りたい』と思うようになったのです」
不思議な話だが、彼は初めての中国での旅の途中、自分が中国の仲間たちと一緒に漫画を描いているイメージが、はっきりと脳の中に浮かび上がったという。
そのような浅野さんの思いを見透かしたのかどうか分からないが、日本に帰ってしばらく経った頃、恩師である大塚氏に「北京外国語大学が日本語教師を募集している、興味はあるか?」と誘われた。浅野さんは迷わず応募し、中国行きを決めた。
当時、中国行きを周りの友人に相談すると、「なんで中国?」という反応がほとんどだったそうだ。その言葉の裏には「日本より漫画レベルの低い中国に行ってどうするの?」という意味が含まれていた、と浅野さんは言う。
彼が中国に来た理由は、自分の人生が行き詰まっていたこと、中国の若者の創造力、この二つが大きいが、もう一つ理由がある。それは、日本の漫画に限界を感じていたことだ。
「私は売れっ子漫画家ではないので、偉そうなことは言えません。だけど、未だに古い成功体験にとらわれ、変わろうとしない日本の漫画界には失望していました。『ジャンプ』や『マガジン』などの漫画雑誌や単行本が売れていたのは遠い昔で、今や発行部数は下がる一方で、漫画家への原稿料も下がる一方です。今では、原稿料1ページ8000円の漫画雑誌もたくさんあります。丸1日、2日をかけて1ページ描いて8000円しかもらえないのであれば、漫画家は食べていけません。
それでも、日本の漫画は世界で売れたという成功体験から抜け出せず、現実から目を背けているような気がするのです。私は有名漫画家ではないので、何を言っても売れない作家の遠吠えにしかならないと思いますが」
日本に見切りをつけて、2015年に中国に引っ越して来た浅野さんは、最初の3年は北京外国語大学で日本語を教える傍ら、漫画を描いていた。
そして2018年、友人の紹介で現在の会社の社長から誘われ、サラリーマン漫画家になった。
【続きを読む】「もう日本企業の視察は受けたくない」中国企業が日本人の“深圳視察”を嫌悪した決定的理由とは
「もう日本企業の視察は受けたくない」中国企業が日本人の“深圳視察”を嫌悪した決定的理由 へ続く
(竹内 亮)