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4コメント4件志尊淳
NHK大河ドラマ「青天を衝け」では元幕臣で渋沢栄一の盟友・杉浦愛蔵(譲)を好演。俳優として充実した日々を送っていた志尊淳は、そのさなかに大病を患ってしまう。がむしゃらに走りつづけてきた彼に、意図せぬ休息は何をもたらしたのか? 病から見事に復活を果たし、精力的に活動をつづける26歳に「インスピレーション賞」を贈る。【写真を見る】
■メン・オブ・ザ・イヤー・インスピレーション賞志尊 淳俳優2019年は、公開映画4本に、そして3本のテレビドラマに出演(主演1本)。年末にはNODA・MAPの舞台にも参加した。翌2020年には、2本の映画と4本のテレビドラマに出演(主演1本)。2021年公開された映画『さんかく窓の外側は夜』(主演)、『キネマの神様』、『人と仕事』(主演)の撮影も同時進行で行われていたことを思えば、志尊淳が「いったん立ち止まりたくなった」という気持ちもよくわかる。「2021年はデビューからちょうど10周年。とにかくがむしゃらに走りつづけてきました。1週間つづけて休んだことは一度もないと思います。休みたいという気持ちになれないというか、自分が休んでいる間にほかの俳優が頑張っていると思うと、立ち止まることが怖かった。ずっと焦りがあったんです。でも去年からコロナ禍になって、仕事をしたくてもできないという状況を体験したときに、ちょっとペースを落としてもいいのかなと思うようになりました。俳優としてというより、ひとりの人間として、もう少ししっかり人生と向き合う時間を作りたいと思ったんです」舞い込んだオファーはできるだけ受ける。そんな状況を変えようと思っていたとき、ひとつの区切りとなるような役と出あった。NHK大河ドラマ「青天を衝け」で演じた、主人公・渋沢栄一の同志、杉浦愛蔵(譲)だ。「自分の仕事に軽重や大小はないと思っていますが、大河ドラマという歴史ある番組で、重要な役を演じられたことは、すごくうれしく思っています。史実に基づいて、実在の人物を演じるのは初めての経験だったんですが、細部までこだわって情熱を傾けている出演者、スタッフには大きな刺激をいただきました。特に同世代の吉沢亮くん(渋沢栄一役)と芝居でぶつかりあえたのはすごく楽しかったですし、自分自身の仕事を見つめ直す、いいきっかけにもなったと思います」■突然の異変だが、すべてが順風満帆とはいかなかった。ある日突然、胸が苦しくなり、翌日入院することになった。検査の結果、病名は「急性心筋炎」だった。菌やウイルスの感染により心臓の筋肉に炎症を起こす病気で、その原因ははっきりと解明されていない。ただひとつわかっていたのは、この病気が“最悪の事態”を招く可能性を秘めているということだった。「心筋炎は原因もわかりませんが、治療法も確立されていないそうで、ただひたすら安静にして、炎症がおさまるのを待つしかない。最初の5日間くらいはベッドから出るどころか寝返りも禁止。自分の体の回復力を信じることしかできませんでした」症状が沈静化してからは、リハビリの日々がスタート。「最初は立ち上がることから。次に足踏み。そして20mの歩行。20mなんてって思うじゃないですか。でも実際に歩いてみると、とてつもなく遠く感じるんです。自分の体がそこまでやられていることがすごくショックでした」動きたくても動けない日々、動こうとしても動くことができない日々。そんな日々は、彼の人生観にも大きな影響を与えずにはおかなかった。「それまでインタビューなどで『後悔がないように頑張ります』というようなことをよく言っていたんです。でも、もしかすると自分の人生がこれで終わるかもしれないと思ったら、後悔しか浮かんできませんでした。仕事のこと、家族のこと、人間関係のこと……。ああすればよかった、こうすればよかったと思うことばかりでした。だからとにかく『まだ生きたい』『生きていたい』と。正直、俳優業がどうなるとかはほとんど考えませんでした。それよりもまず生きること。それしか考えられませんでした」心筋炎は、いったん治まったとしても1年ほどは再発の可能性がある病気だ。退院後も自分の体と向き合いながら、少しずつリハビリを進めていったという。「毎日歩いて体力を戻していきました。しばらく病院にいたので、外の空気を吸えるだけでもううれしくて、雨の日も欠かさず歩いていました。ボーッと過ごしたり、コンビニに行ったり、そんなことも幸せに感じていました」■第2の悲劇仕事も徐々に再開した。だが、常に再発することへの恐怖心がつきまとっていたという。「大声で叫んでいいんだろうかとか、走るシーンがあるけど大丈夫だろうかとか。健康だったころの自分の状態すら思い出せないんです。ひとつずつ自分の状態を確認しながら進む未知の世界。それまでどんなことでも『できますか?』と訊かれたら『やります』と答えていました。でも心筋炎以降は、できないことはちゃんと断れるようになりました」少し立ち止まろうと思った10年目は、突然の発病で強制的に立ち止まらざるを得なかった年でもあった。仕事に100%を捧げるのではなく、50%は自分のプライベートのために使おう。そんなふうに考え、前を向いて歩きはじめた夏場、第2の悲劇が志尊を襲った。「ものすごい頭痛と熱でした。心筋炎になってから自分の体の状態に敏感になっていたので、これはまずいなと感じました。そうしたらやっぱりコロナ。本当に、誰よりも厳重に気をつけていたはずなのに感染してしまったんです。ただただひとりで症状が治まるのを待つのは、心筋炎で入院しているときより不安でした」一難去ってまた一難。これまで前向きに生きてきた彼も、心が折れそうになった時期があったという。「こんなに立てつづけに病気になるなんて、ついてないな、運が悪いなと思いました。でも考えかたを変えれば、僕はふたつの大きな病気を乗り越えることができた運のいい人間だともいえる。死への恐怖や不安、自分の弱さ、いらだち……いろいろなことを感じられたことで、人生も豊かになったのではないかと思っています」■志尊にとっての幸せこの秋公開された映画『人と仕事』は、志尊と有村架純がコロナ禍で大変な思いをしているエッセンシャルワーカーに取材するドキュメンタリー。撮影は2020年から始まり、志尊が病から回復した2021年になっても行われた。「僕が俳優という仕事が好きなのは、自分でも思ってもみなかったような役を与えられ、役を通してさまざまな経験ができるからです。『人と仕事』では、インタビュアーとして保育士や農家の方、学生などの話を聞くことができました。普段はインタビューを受ける側なので、最初は戸惑いましたが、とにかく彼らに寄り添うことを意識して、自分の知らない世界のことをたくさん教えてもらいました。いついつまでにこういう役をやりたい、こんな作品に出たいというような具体的な目標はありません。常に目の前のひとつひとつの仕事にしっかりと向き合い、そこで経験を重ねていく。その積み重ねが自分の人生を豊かなものにしてくれるだろうし、それが僕にとっての幸せなんだと思います」溌剌とした笑顔でカメラの前に立つ志尊から、病気の影響を感じることはない。でも、その笑顔にまぎれた彼の中身は、1年前のそれとまるで別物なのだろう。「病気をしたことでまわりのスタッフさんや家族など、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。でもそういった人たちが、僕のために最大限のサポート、配慮をしてくれていることがわかりました。まだ再発の恐怖心が完全に消えたわけではありません。でもそれよりもお世話になった方々に恩返しをしたいという思いが強くなっています」あの1年を乗り越えたから、つらく苦しい日々があったからこそ、いまがある。志尊は、いつの日かそんな言葉で2021年を振り返ることだろう。そう語る彼の顔はいまよりもきっとずっと輝いているはずだ。PROFILE志尊淳1995年3月5日生まれ。2011年俳優デビュー。2018年NHKドラマ10「女子的生活」で第73回文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門で放送個人賞を受賞。今年は、映画『さんかく窓の外側は夜』、NHK大河ドラマ「青天を衝け」に出演。10月8日(金)に、ドキュメンタリー映画『人と仕事』が公開された。1995年 東京都に生まれる2010年 ワタナベエンターテイメントスクールに入学2011年 D2に加入、ミュージカル「テニスの王子様」2ndシーズン向日岳人役で俳優デビュー2013年 D2がD-BOYSに加入し、D-BOYSメンバーとなる2014年 スーパー戦隊シリーズ第38作「烈車戦隊トッキュウジャー」で主人公のライト/トッキュウ1号に抜擢される2017年 「春のめざめ」で舞台初主演2018年 トランスジェンダーの役で主演を務めた「女子的生活」(NHK)で、第73回文化庁芸術祭テレビ・ドラマ部門で放送個人賞を受賞。セカンド写真集『23』を発売2019年 「第43回エランドール賞 新人賞・TVガイド賞」受賞主演ドラマ「潤一」が日本作品で初めてカンヌ国際映画祭コンペティション部門に出品される。「WEIBO Account Festival in Japan 2019」躍進俳優賞を受賞2021年 NHK大河ドラマ「青天を衝け」に出演Photos マチェイ・クーチャ Maciej Kucia@AVGVSTStyling 九 Kyu@Yolken Hair&Make-up 古久保英人 Eito Furukubo@Otie Words 川上康介 Kosuke Kawakami
最終更新:GQ JAPAN