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「土下座だってする」密着・岡田武史、59歳の挑戦 - Yahoo!ニュース

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2016/03/24(木) 11:01 配信

オリジナル

その男は愛媛県・今治市にいる。サッカー日本代表元監督、岡田武史。岡田は今、監督ではない。FC今治の経営者だ。

カメラはFC今治のオーナー就任時から岡田に密着。自らを「ドン・キホーテ」と称する岡田は今治の地で何をしようとしているのか。“夢追い人”の奮闘を映像で描く。

(映像 約8分)


かつてW杯の舞台でサッカー日本代表を二度率いた名将、岡田武史。

彼は今、人口17万人弱の愛媛・今治の地で経営者として新しい挑戦に取り組んでいる。J1を頂点とするJリーグ(J1~J3)の下部にあたるJFLにも名を連ねていない、四国リーグの無名クラブ「FC今治」のオーナーとして。

2014年11月に就任して以降、クラブ運営、資金繰りからサッカースタイルの構築、育成組織の充実まですべての責任を引き受けて模索しながら突っ走ってきた。試練の先に見えてきたものとは、彼自身が得たものとは一体、何だったのか。

還暦を目前にした男の「ゼロからの挑戦」を追った。(スポーツライター・二宮寿朗/Yahoo!ニュース編集部)

岡田武史は今何を?

2016年2月、FC今治がキャンプを張る宮崎はまだ残る冬の冷たい空気に包まれていた。

夜9時過ぎの宮崎空港。大阪からの最終便が到着すると、グレーのマフラーを首にかけたマスク姿の岡田は足早にサッとロビーを抜け、肩をすくめながら駐車場に止めていたレンタカーへと向かった。

この日は金沢に赴き、政府が設置した地方での雇用創出について議論する「地域しごと創生会議」に出席してから、宮崎にとんぼ返りしてきた。その目的は翌日に予定されているチームの練習試合を見ておくため。

CEOとして経営の基盤づくりに追われた1年から、今年は「CMO」と聞きなれない役割も加わった。CMOとはChief Method Officer(チーフ・メソッド・オフィサー)の略。下の年代からトップチームまで一貫したプレーモデル(プレーの型)「岡田メソッド」作成の陣頭指揮を執るとともに、今季就任した元U-17日本代表監督・吉武博文監督のサポートをすることに決めていたからだ。

ハードという言葉じゃ収まりきらないスケジュールに疲れを見せることもない。ハンドルを握りしめながら、キャンプ地の綾町へと向かった。

ウインカーがコチコチと鳴る。わき目を振らないドライヴィングも実にこの人らしい。

今治を選び、経営者になった理由

チャレンジの人は8月で還暦を迎える。

「岡ちゃん」の愛称で知られ、サッカー日本代表が初出場した1998年のフランスワールドカップで指揮を執り、横浜F・マリノスでは2003、2004年にJリーグ2連覇を達成。そして2度目の登板となった2010年の南アフリカワールドカップで2002年日韓大会と並ぶ最高位のベスト16に導いた。その後、日本人監督として初めて中国スーパーリーグの監督も務めている。

先駆者がもっと楽に生きる方法はあったはずである。しかし彼は早大時代の先輩がオーナーを務める無名クラブの株式を51%取得して未知の経営者に飛び込んだ。リスクを覚悟のうえで――。

何故、自分が経営するクラブを持とうと思ったのか。

横浜F・マリノスの監督時代の苦い経験が胸に残っていた。自分の指示どおりに選手が動いて優勝しても、「このままでいいのか」という悩みが離れなかった。

「選手たちが自分で判断しなくなった。これって、俺は選手を育てているのだろうか、と。お前たちの好きなようにやってみろと言ったら勝てなくなった」

だからこそ「岡田メソッド」を考案して16歳までに植えつけ、そこから型を取っ払って自由にして「自分で考える、判断する」を実践したいという宿題に取りかかった。ひいては「世界に打ち勝つ日本サッカー」のヒントにもなる。ただ、これをやるには一監督では不可能だ。クラブの全体像を描く経営者にならなければ始まらなかった。

「岡田メソッド」を下の世代から徹底して教えこみ、FC今治を強くする。そのためにはFC今治だけが成長しても意味がない。人口減少にある地方都市に多くの人を呼んで「交流人口」を増やして今治市をまるごと活気づけたい、と彼は言った。社会貢献、そして国際交流。岡田が描く壮大な計画に、企業も人も賛同していった。

岡田が特任上級顧問を務めるデロイトトーマツコンサルティング、三菱商事、それにEXILEや三代目J Soul Brothersを抱える芸能プロダクションのLDHなどバラエティーに富むスポンサーが手を挙げた。

理想に向かいつつ、経営を軌道に乗せることもやっていかなければならなかった。月の3分の1は今治で過ごし、残りは全国を駆け回った。経営、講演、営業、政府設置の会議などなど。寸暇を惜しまず、日々を猛スピードで駆け抜けた。

大の読書家は本を読めなくなり、運転して眠気に襲われて「危ない」と思ったことも一度や二度ではない。新幹線の移動はメールを返信する時間に追われた。

「土下座でもなんでもできるよ」

だが、オーナー1年目に結果はついてこなかった。11月の全国地域リーグ決勝大会(高知)では決勝ラウンドに進めず、就任時に至上命題に掲げていたFC今治のJFL昇格はかなわなかった。

結果を出せないチームに対する物足りなさは、クラブ全体の物足りなさ。

高知から今治に戻る車中、岡田はずっと考えて込んでいた。「この敗北には、きっと何か意味があるのだ」と。

意味の一つを、教えてくれたのが12月に行なったファン感謝祭だった。

「400人も来てくれた。僕は最初からこの400人を絶対に逃がしたくないっていう気持ちで感謝祭に入っている。でも抽選会になったら、(スタッフが)観客席から遠いところでやろうとする。何でだと聞いたら『いやマイクが届きません』と。僕は、ダメだと。地声でいいからお客さんのいるところでやってくれ、と」

岡田の目に、ファンを必死に取り込もうとする姿勢が映らなかった。

スタッフたちに問うた。

「ここに来てくれたお客さんをどんなことがあってもスタジアムに来てもらおうと思って感謝祭に臨んだ人は、みんなのなかで一体何人いる?」

場は、静まり返っていた。

スタートアップしたばかりの会社がつぶれるかもしれないという危機感を、全員で共有できていないことがもどかしくてたまらなかった。

だが同時に自分にも問うた。

この会社には俺より優秀なヤツがいっぱいいる。彼らに危機感を持ってもらうためには、どうしなければならないのか、と――。

シーズン終了後、就任1年目でのJFL 昇格を果たせなかったことで岡田は特任上級顧問を務めるデロイトトーマツコンサルティングの役員会に赴き、頭を下げた。スポンサー回りでも頭を下げ続けた。

「地方リーグだから、スポンサーとしてはメディアへの露出とか広告効果を考えると、今出している金額じゃ見合わない。そういう人たちに対して申し訳ない。『もう1年待ってください』というような気持ちで回ったよ」

そして苦笑いして、こう言葉を付け足した。

「考えてみれば監督のときなんて、頭を下げることなんてなかったのにな。今なら土下座でもなんでもできるよ」。

「最近の岡田さん、面白くないよ」

「経営者・岡田」の転機となった、一言があるという。それは取締役を務めるLDHの森広貴専務と食事をした際のこと。森は酔いに任せて、胸にあった言葉を吐き出した。

「最近の岡田さんは、何か面白くないです」

箸を持つ岡田の手が止まった。頭のなかで「面白くない」がこだました。カーッと胸が熱くなるような感覚を覚えた。

「カチーンときたんだけど、何となくわかったんだよね。資金繰りがどうとか、そんな“名経営者”を期待されているんじゃない、と。『リスクを冒して夢にチャレンジしている岡田さんが大切なんじゃないか』って彼は言いたかったんだと思う。一番大事なところを忘れちゃいけないなと思い出させてくれた」

クラブも変わらなければならい、チームも変わらなければならない。でも何より自分自身こそが変わらなければならなかった。

リスクを冒し、夢を追う。そして、ついてくる者にも、「岡田さんの信条」ではなく「自分の信条」とさせなければならなかった。

社員に責任感を持たせるために「自分が出ていかないと始まらなかった」案件も敢えて任せるようにした。「自分の仕事がどう経営につながっているのか」と実感を持たせるために役員会もオープンにすることにした。

自分は先頭で走りつつも勇気を持って優秀な社員に任せていく。多忙を分配していく。

チーム自体もメソッド事業部本部長を任せていた吉武に監督を委ねた。選手の入れ替えも「実力だけじゃない。野心を持っているヤツを入れなきゃいけない」とトップチーム28人中15人が新加入選手となった。そして自分もCMOとして現場に出ていくことにした。クラブにかかわる人すべてのヤル気と責任感を促すように。

オーナー2年目の今季、スポンサーは倍近い107社にのぼり、予算も前年比で1億円アップの約3億円規模となった。5000人収容の新スタジアムも今年5月に着工する。夢は一歩ずつ確実に現実へと近づいている。

岡田武史、日本サッカー協会副会長に就任

2016年3月、岡田に新しい肩書が加わろうとしている。「日本サッカー協会副会長」の要職である(27日の評議員会で正式決定)。

「僕としては一番大事な仕事が今治にある。ここまでいろんな人がついてきてくれたり、お金を出してくれたり、そういう人たちを裏切るわけにはいかない。ちょっと無理です」と一度は協会からのラブコールを断っていた。しかし非常勤で月2日の限られた時間での役割を求められたことで、考え直した。

と同時に別の思いが膨らんできた。

「今このFC今治は『岡田武史の信用』を切り売りしている。それだと必ず賞味期限が来てしまう。そうじゃない。このクラブとしての信用、アイデンティティ、ブランドをつくっていかなきゃいけない」

「僕は本来、若い人がトップに立ってどんどん引っ張っていく、そういう協会になるべきだと思っている。若い人たちがやる道筋をつけるための役割なのかなって思う」

FC今治や日本協会のみならず、日本サッカーにかかわる多くの若い芽を伸ばし、将来に道筋をつけていく。

それこそが岡田武史が今なお走り続ける、一番の動機なのかもしれない。


岡田武史氏のサッカー協会副会長就任に関するインタビューはこちら

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(映像)制作協力:ハイブリッドファクトリー統括:古田清悟編集:大海宏介 植田城維