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アフガニスタンで8月にターリバーンが政権を再掌握して以降、日本や欧米諸国では、国外に脱出しようとするアフガニスタン難民に注目が集まり、彼らを支援しようとする動きがにわかに活発になっている。
紛争、テロ、宗教過激主義に苦しむ哀れな中東の人々に救いの手を差し伸べようとする活動には敬意を表したい。だが、惨めな中東の人々に一過性の同情が寄せられるのとは対照的に、彼らが日常を取り戻していく姿に向けられる関心はあまりに低い。
2011年に「アラブの春」が波及し、「今世紀最悪の人道危機」と呼ばれるシリア内戦が発生したシリアでは、2015年欧州難民危機が発生したのを受けて、イスラーム国のテロ、政府と反体制派の戦闘を逃れるシリア難民(より正確に言うと、難民への対応に不慮する欧米諸国や日本)が大きな注目を浴びた。
UNHCR(国連難民高等弁務官事務所)によると、2021年9月23日時点で5,649,644人がトルコ、レバノン、ヨルダンなどで難民として登録している。彼らの多くは依然として困難な生活を余儀なくされている。だが現在、中東の人々への同情の目が彼らに向けられることはほとんどない。
欧米諸国は、現下のシリアはいまだに難民が帰還するにふさわしい状況にないと頑なに主張する。難民が帰還を切望している故郷の方が劣悪な環境だというこのロジックは、彼らが現在置かれている困難、そして彼ら自身への無関心を助長している。当然のことながら、シリア難民が徐々に帰還しているという事実が着目されることもない。
10月1日にヨルダンからのシリア難民の帰還が再開された。だが、日本や欧米諸国ではほとんど報じられていない。
UNHCRによると、2021年8月31日の時点でヨルダンには670,637人のシリア難民がいる。彼らは長らく、各所で避難生活を送っていたが、2018年10月15日にシリア・ヨルダン両国を結ぶナスィーブ・ジャービル国境通行所が再開されたのを受けて、徐々に帰還を始めていた。その数は1日あたり400~600人に達した。
だが、この動きはコロナ禍によって滞った。2020年3月10日、新型コロナウイルス感染症の感染防止対策の一環として、ヨルダン政府はナスィーブ・ジャービル国境通行所を通じた渡航を禁止し、3月16日以降、陸路での難民の帰還は不可能になった。
ナスィーブ・ジャービル国境通行所は2021年4月17日に再開され、5月3日には1日150人までの旅行者の入国が許可された。だが、難民帰還の再開には至らなかった。6月末からダルアー県の治安が悪化すると、ヨルダン政府は再び7月31日にナスィーブ・ジャービル国境通行所を閉鎖した。
ダルアー県での治安悪化は、シリア政府当局がダルアー県の元反体制派メンバーらに個人で所有する武器の引き渡しと社会復帰に向けた手続きを行うよう求めたことがきっかけだった。
「シリア革命の発祥の地」などと称されたダルアー市を中心とする同地は、2018年11月までにシリア政府の支配下に復帰していた。だが、その後も、シリア軍・政府関係者・施設を狙った襲撃事件があとを絶たず、不安定な治安状況が続いていた。
シリア政府当局が6月下旬に同地の元反体制派メンバーに対して、個人で所有している武器の引き渡しと社会復帰にかかる手続きに応じるよう求めたことに対して、彼らは反発した。その一部がダルアー市ダルアー・バラド地区に立て籠もる一方、県内各所でシリア軍や政府関係者を狙った襲撃事件が相次いだ。
これに対して、シリア軍がダルアー・バラド地区を封鎖し、元反体制派メンバーに攻勢をかけた。一連の混乱で、シリア軍兵士、反体制派メンバーらだけでなく、住民も巻き添えとなって死傷した。とはいえ、一部反体制派の喧伝とは異なり、シリア軍の攻撃は、元反体制派メンバーや住民の抹殺を狙ったものではなかった。目的は、元反体制派メンバーの社会復帰と治安回復を通じて、復興にふさわしい環境を整備することだった。
ダルアー・バラド地区での戦闘は、8月31日までにロシアの仲介のもとにシリア政府当局(治安委員会)と同地の元反体制派メンバーの代表(中央委員会)が和解に合意したことで収束した。和解を拒否した者とその家族87人は、8月24日と26日にトルコ占領下のアレッポ県北部に移送された。その一部はトルコ占領当局から受け入れを拒否され、シャーム解放機構が軍事・治安権限を握るイドリブ県に移送された。
また合意に応じた元反体制派メンバー、指名手配者、兵役忌避者ら約1,200人が武装解除し、社会復帰にかかる手続きを行った。ダルアー県のほかの地域でも、同様の和解合意が行われ、英国で活動するシリア人権監視団によると、9月29日までにタファス市、ナワー市、ムザイリーブ町、タッル・シハーブ町、ダーイル町、サフム・ジャウラーン町、シャジャラ町、タスィール町、ヤードゥーダ村などで、約2,900人が同様の手続きを済ませた。
ダルアー県での治安状況の改善と並行して、シリアとヨルダンの関係にも急展開が見られた。
ヨルダンは「アラブの春」がシリアに波及した2011年にシリアと断交し、2010年代半ばを通じて、反体制派や欧米諸国の反体制派支援の拠点となっていた。だが、2018年にダルアー県を含むシリア北西部がシリア政府の支配下に復帰したのを受け、前述の通り2018年10月15日にナスィーブ・ジャービル国境通行所を再開した。2019年1月には在シリア大使館への臨時代理大使の派遣を決定していた。
シリアとの関係改善の動きは、ドナルド・トランプ米政権による圧力とコロナ禍で一時躓きを見せたが、経済危機に喘ぐレバノンで深刻な燃料不足が発生したことで再び加速した。
9月8日、エジプト、レバノン、ヨルダン、そしてシリア政府の間で、アラブ・ガス・パイプラインを通じたエジプト産天然ガスのレバノンへの供給が合意されたことがこの動きに拍車をかけた。アラブ・ガス・パイプラインは、エジプトのシナイ半島から、ヨルダン、シリア、レバノンに天然ガスを運ぶパイプラインで全長は1,200キロに達する。
この合意は、ジョー・バイデン米政権がレバノンに対して求めていたものだった。ヨルダン、シリアを経由して行われるエジプト産天然ガスのレバノンへの供給は、米国がシリアに対して科している制裁、具体的にはシリアからの石油と石油産品の輸入・取引の禁止を定めた大統領令第13582号(2011年8月17日)に抵触する。だが、バイデン政権は、エジプト、レバノン、そしてヨルダンによる制裁違反を黙認する姿勢をとった。
9月26日から27日にかけて、シリアのムハンマド・サーミル・ハリール経済対外通商大臣、タンマーム・ラアド水資源大臣、ムハンマド・ハッサーン・カトナー農業・農業改革大臣、ガッサーン・ザーミル電力大臣がヨルダンを公式訪問し、関係閣僚と拡大会合を行い、通商、運輸、電力、農業、水資源といった分野での二国間協力関係の強化について協議を行った。
この会合に合わせて、ヨルダン内務省は9月27日に声明を出し、ナスィーブ・ジャービル国境通行所を9月29日に全面再開することを決定したと発表した。また、10月3日にロイヤル・ヨルダン航空のシリア・ヨルダン間の旅客便の運航を再開することも、ヨルダンのワジーフ・アザーイザ運輸大臣によって併せて発表された。
こうした動きに関して、米国務省のジャリナ・ポーター副報道官は、ロイヤル・ヨルダン航空の就航再開に歓迎の意を示しつつ、「国務省はこの発表について検討を加えている」と付言したにとどまった。
これを受けて、10月1日にヨルダンからのシリア難民の帰還が1年7カ月ぶりに開始された。ロシア合同調整センター所轄の難民受入移送居住センターの発表によると、10月1日には、230人(うち女性69人、子供117人)、2日には47人(うち女性14人、子供24人)、3日にも47人(うち女性14人、子供24人)が帰還している。
同センターによると、これによって2018年7月18日以降にヨルダンから帰国したシリア難民の数は395,572人(うち女性118,715人、子ども201,734人)となった。
そして10月3日、アサド大統領とアブドゥッラー2世国王が10年ぶりとなる電話会談を行った。シリア大統領府とヨルダン国営のペトラ通信によると、会談はアサド大統領の要請を受けて行われ、両国関係と協力強化の方途について意見を交わした。
シリア政府との関係改善に向けた動きはヨルダンにとどまらない。
2018年2年にシリア政府との関係を修復したUAE(アラブ首長国連邦)は、9月20日にシリア人への観光ビザ発給を解禁した。9月22日には、UAEのスハイル・マズルーイー・エネルギー・インフラ大臣が、ドバイ通商センターで開催されている第5回アラブ水利フォーラムに出席するためにUAEを訪問中のシリアのタンマーム・ラアド水資源大臣と会談し、「シリアの復興に貢献し、開発を強化し、シリアを10年におよぶ戦争以前の状態に戻す用意がある」と表明した。
さらに10月3日には、ムハンマド・サーミル・ハリール経済対外通商大臣が2020年ドバイ国際博覧会の開幕に合わせて訪問中のドバイで、アブドゥッラー・タウクUAE経済大臣と会談しシリアUAEビジネスマン評議会の活動再開などの両国経済関係をめぐる懸案問題への対応について協議した。
9月14日から27日にかけて開催された第76国連総会では、米ニューヨークを訪問したファイサル・ミクダード外務在外居住者大臣が、アルジェリア、イラク、オマーン、UAEといった友好国の外務大臣に加えて、24日にエジプトのサーミフ・シュクリー外務大臣と会談した。両国外務大臣の会談は2011年に「アラブの春」がシリアに波及して以降初めてだった。
シュクリー外務大臣は10月2日のCNNマスルのインタビューのなかで、この会談に関して次のように明言し、アラブ世界でのシリアの地位回復を主導する意思を示した。
アラブ連盟からのシリアの排除は、サウジアラビアとカタールによって強引に主導されたが、このうちサウジアラビアは2019年以降、シリアへの態度を軟化させて、ヨルダンを経由した農産物などの輸入を再開している。2020年11月18日には、30年にわたって閉鎖されていたサウジアラビア・イラク国境のアルアル国境通行所を再開し、イラク経由での貿易も行われるようになった。
カタールは依然としてシリア政府に厳しい態度を貫いているが、2019年7月にカタール航空が、シリア上空への旅客便の通過を再開し、1機あたり150米ドルの上空通過料をシリア当局に支払うようになっている。
アラブ世界におけるシリアの復権が現実味を帯びるなかで、欧米諸国、日本、オーストリア、カナダなどいわゆる西側先進諸国が、シリア政府との関係改善に踏み切るかは依然として不確かである。
だが、日本を含むこれらの国でのシリアに対する無関心は、自らの存在価値の根幹をなすと自負している人道を根拠にシリアに対して執拗に制裁や介入を続けてきた過去を忘却し、決別するための「冷却期間」と見ることもできる。
そしてこの「冷却期間」を経て、これらの国が何ごともなかったかのように、シリア政府との関係改善に踏み切れば、人道に基づいてシリアの惨状に同情を寄せていた欧米諸国、日本の市民は、自らの政府に梯子を外されたことになる。あるいは、これらの国の政府と同様に、市民がシリアから目を逸らすのであれば、それは人道に基づいていたはずの自己に対する最大の裏切りとなる。